ティオ・フアネの孫が「フラメンコに熱中することはなんて難しいんだ」と言っていたが、僕もそう思う。だがふと頭をよぎったのは、カンテの難しさは熱中することだけでなく、伝えること。それによってカンテがただの物事ではなくなる。そしてその難しさこそこの芸術が唯一である所以なのだろうと。
ニーニョ・デ・ラ・フラグアは兄弟もカンタオールで、何年も前から注目している非典型的なカンタオールだ。公演を作ったり、若手にアドバイスをしてあげたり、共演したり、特にフラメンコのアーティストでは珍しく契約や権利を文書にしたりするような人物。
本名はペドロで、彼はカンタオールだけでなく教師でもあるが、彼の立ち居振る舞いや話し方などに、どことなくそれが表れている。
今週からペーニャ・トーレス・マカレナではカンテのリサイタルシリーズが始まった。初日はへレスからニーニョ・デ・ラ・フラグアを迎えたが、他にもイベントの多かった日だがペーニャは満員だった。中にはハシゴをした人も。
ギター伴奏には金髪白人ながらディエギート・デ・モロンの隠し子かと思うようなジュース・ウィガー。聞く度に成長を感じ、著名アーティストの伴奏をしているのも納得だ。個性のあるギタリストで、集中力があり、抑えきれない鼓動の高まりに身を委ねたような伴奏で、何度も鳥肌が立つ。
一部の一曲目はソレア。その最初の瞬間から今回のリサイタルの注目ポイントが見られた。彼の頭脳派・技巧派な側面と、彼の声帯を作り上げた血筋がどのように調和しているか、だ。
「火に油を注がないよう(Pa no echarle leña al fuego)」、アルカラのソレアを誠実に歌う。3節目と4節目の高音は自分と戦っているかのようだった。
次は我々の好きなトリニのマラゲーニャを歌い(下記参照)、いくつかのアバンドラオで締めた。そのうちの一つは「ヤキモチ妬きの王様が起きた(se levanta un rey
celoso)」というレトラのハベラ、他にはルセナのものや、マヌエル・バジェホのレトラも彼流に歌った。
続くティエント・タンゴは一部の曲のうちで一番予測不能な展開だった。マイナーキーへの変調もよくギター伴奏が拾っていた。カンテス・デ・イーダ・イ・ブエルタ(中南米の影響を受けたカンテ、グアヒーラなどが代表例)に似た雰囲気があった。このカンテのスタイルを守り、十分に、きらめくように歌った。
一部の最後はアレグリアス。最初のレトラは「宝石商にいくらか聞いた(Pregúntale al
platero, que cuanto vale, que cuanto vale)」。高音と低音を行ったり来たりして、技術を見せびらかしていた。その後はアレグリアス・デ・ラ・インデペンデンシア(独立のアレグリアス)と呼ばれる「ナバーラ人の坊や、帽子がよく似合ってるよ(Navarrico,
navarrico qué bien te pega la gorra)」のレトラを歌った。高音が光っていた。
アレグリアスの締めは定番の「空中に銃を撃った(Yo pegue un tiro
al aire)」を歌ったが、一部だけで50分もあった。
二部はギターにキーを出させることなく、ガニャニアのトナーから始まる。上手に、優しいながら、トナーに相応しいざわめきを残し歌った。締めはマルティネーテ。芸名が「鍛冶屋の子」なだけある。
次はシギリージャ。マヌエル・モリーナ、マルーロのスタイルを歌い、締めはシルベリオのスタイル。好き嫌いはあるだろうし、どこまで心に届くかも個人差があると思うが、カンテのことは良く知っているのが分かる。
最後はへレスのカンタオールらしくブレリア。短めだったが、最後はラファエル・デル・エスタ作曲、アスカル・モレノが歌った「あなたの手で包んで(Tápame con tus
manos)」のレトラでクプレ・ポル・ブレリアを歌う。重たすぎず、色鮮やかな締め括りで、後味良く終わった。
トーレス・マカレナでの興味深いハーモニー。今回はギターの方が表現力があり、カンテの方がテクニカルだった。
パルマにはエル・ペテテとエル・チチョが参加。
文:ホセ・カルロス・カブレラ・メディナ
訳:瀬戸口琴葉
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