ペペ・マルチェーナ in モロッコ

 

スペイン領だった時代のモロッコにおけるフラメンコに関する研究シリーズとして、今回はアフリカ大陸、モロッコと関連があり、タンジェで公演経験のあるアーティストに注目したいと思う。


今日はペペ・マルチェーナ、具体的には1950年8月18日にタンジェにて行われた彼の公演についてお話ししよう。

タンジェへの彼の到着はグレゴリオ・コロチャノ編集の「エスパーニャ・デ・タンヘル」という、その時代一番重要な新聞で大きく報じられた。

この時の訪問と続く公演について、公演前と翌日に3つの記事が掲載されていた。以下に記事の写真を掲載するが、これによりその時代、この公演がタンジェにおいていかにメディアにより注目され、重要視されていたかが窺える。

1つ目の記事は、公演に先立つ予習的な内容で、1950年2月16日付のものであった。記事の中ではペペ・マルチェーナのグラン・テアトロ・セルバンテスでの再演について書かれた。その当時大人気だったペペは既に何度かタンジェを訪れており、この50年代の公演はスペイン領モロッコにおける最初の公演ではなかった。

午後に1公演と夜に1公演の2回公演で、新聞記者は「アンダルシアのバラエティーショー」と銘打ち、そのタイトルは「イチゴノキの花が咲く時」とされた。

その頃ペペはセビージャの、同じくテアトロ・セルバンテスにて公演をしていた。

その公演ではメルセデス・チャコンを含むマルチェーナ関連の20名のアーティストが出演し、その中にはカルメン・モラ、ドリス・カレーラ、マリ・ロサ・ガルシア、ナティ・フェルナンデス、アンパリート・メディナ、またギターにはラファエル・エル・コルドベスなどがいた。

2つ目は1950年2月18日付、公演当日のもので、ペペの写真と共に掲載された。その記事は予定されていた2公演について簡単な紹介だった。ご覧のように、ペペのことを「スペインや外国にカンテ・フラメンコの魅力と伝統を伝える」アーティストとして紹介している。

この記事の中ではペペのことを「アンダルシアのカンテ」の旗手と名付けている。

タンジェでのペペの公演について書かれた一連の最後の記事は1959年2月20日付のもの。「ペペ・マルチェーナの大成功」というタイトルで、この公演での観客の大反響ぶりが伝えられた。

この最後の記事の中ではマルチェーナ流の「カンテ・プーロ」について述べており、特にリサイタルの中で好評だったアロスノのファンダンゴについて書かれていた。

大きなテアトロ・セルバンテスを埋めるため、観客の興味を引くためにかなり詳細にペペについて書かれた一連の記事から、フラメンコに関する具体的な知識から離れて、ある種の抒情的な用語が記事に付与していることが分かる。でも勘違いしないでいただきたいのが、この新聞がいつもそのような語り口調なわけではなく、フラメンコの専門家や愛好家も記事を書いている。これについては次の記事で紹介しよう。

今回のフラメンコの歴史の紹介はこの辺りにして、後の研究者の人たちがペペの人生の状況を考察出来る余白を残しておこう。


文:ホセ・カルロス・カブレラ・メディナ

訳:瀬戸口琴葉


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